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2021.03.11

311

はろう('ω')ノ

今日は2021年3月11日。

東日本大震災からちょうど10年ですね。

テレビでもネットでもいろんなところでその時の話が伝えられていますが、私も同じように、忘れることはできない日です。

私もこの地震によって人生が変わったのは事実ですし、今日だけ10年前の記憶を少し書いていきましょう。

2011年は私は学生だったので東京おりました。

3月ごろはちょうど就職活動中だったので経済情勢はよく覚えていますが、リーマンショックから立ち直って景気も上向こうとしている最中でした。
民主党政権で経済的にはかなり厳しいときだったのですが、民間企業はリーマンショックのど真ん中からは脱却しつつあって、頑張れば割といいところに就職できるかなって感じの情勢でした。

今ほど厳しく一律ではありませんでしたが、当時は有名企業の多くが4/1から本採用をスタートさせるということで、3月中は会社説明会に行ったり、一部の選考が早い会社は面接があったくらいでした。

今だから言えますが、地震が起こる前、おれは東京電力に入ろうかなって思ってたんです。
正確には東京電力かKDDIかNTT Docomoのどれかに行きたいな~と思ってて、選考が電気・通信系だったこともあり、推薦の枠もあって少し頑張れば入れるくらいの位置にはいたと思っています(過信?)

建前でいえば自分がやってきた専門系をそのまま活かせる会社に入りたいってことと、スマホとかワイヤレス給電に当時すごく興味があったので、そこに関連していろいろと成長できるところに行きたいという気持ちでした。

もちろん建前は嘘じゃないけど、本音は英語が喋れないから英語を使う可能性が低そうな国内需要系のところに行こうと守りに入った選択だったんですね。笑

実は今はバリバリ輸出系で英語必須(※しゃべれるとは言ってない)のところにいるので、学生時代に英語だめでもなんとかやっていけると言っておきましょう(´・ω・)

話それましたが、そんな中で一番よく覚えているのは、当時の会社説明会のパンフに「原発は安全です」とものすごく大きく書いてあったこと。
今もTVでいわれているように、地震が来るまでは本当に安全神話みたいなおごりがあったんですよね。

今日は原発の話はしませんが、地震によっておれの就職先は大きく変わることになったということです。

で、2011年3月11日。

この月は就活とバイトでびっしりだったのですが、この日だけ偶然就活の予定もなく、バイトもオフでした。
大学自体は春休みだったものの、研究室でやることがあったので大学に来ていて、ちょうど15時ころは、食堂の中にあるカフェっぽいところで友達と雑談をしていたんです。

そこで地震が来るわけですが、この時はマジで人生で一番恐怖を感じました。

最初は「あ、地震!」って感じから一気に大きくなって、これはやばいやつっていうのがほんの数秒でわかるレベルの大きな揺れに変わっていきました。
おれは食堂の机の下に入ったんだけど、机が軽いこともあって机自体が揺れて持ってかれるくらいの長くて大きな揺れだったのを覚えています。

周りは悲鳴と大丈夫か!?の声の助け合いで、食堂なので周りは知らない人なんですけどみんながお互いを心配しながら避難していましたね。

で、一度収まった後に食堂の外に出て様子を見たら、そこでまたかなり大きい余震が来て、その時は外にいたので逃げる場所がなく、ただコンクリの上で何もできず収まるのを待っていたと思います。
もしここで建物が倒れたり、上から何か降ってきたら死ぬ、と本気で思いました。

次もし大地震があったら、マジで収まったと思っても早めには飛び出さない方がいいと言っておきます。

一度研究室に戻ると、ワインの瓶が地面で割れていて、本棚が傾いて本が散乱し、机の配置がもともとどうだったかわからないくらいぐちゃぐちゃになり、停電して電気やPCが全部落ちている静かで恐ろしい光景が広がっていました。

この時思ったけど、家に本棚とか食器棚がある人はマジで固定しておいた方がいいよ。

それから大学内で放送があり、グラウンド的な場所に避難することになりました。

このときおれはこの地震が東京震源の関東大震災だと思っていたんですが、自分がいたところは震度5強で震源は東北だと聞いて、ここが震源じゃなければ震源はどれだけ揺れたんだ…と震え上がったのを強く覚えています。

しかしこの情報を聞いてからずっとネットワークがつながらなくなりまして、津波が来てるとおれが知ったのは実は次の日だったんです。

この時は自分たちもダメージを受けているので、ほかの地域の心配をしている余裕もなく、家族が大丈夫かとか、家が火事になってないかとか、今日おれは帰れるのかとか、そういう心配が先に来ていました。

スマホはあったんですけど今ほどネットワークは強くない頃だったので、連絡も滞ったり情報が錯そうしたりしていろんなところでパニックでしたね。

ちなみにこの時も彼女はいなかった(無念)

で、とりあえず家に帰りたいわけですが、電車で家まで1時間くらいかかっていた自分は電車が動かないと帰れず、いわゆる帰宅難民になってしまいました…

JRは動かず、私鉄(京王線と小田急線)が深夜になって動き始めたので、帰れたのが深夜の12時くらいだったと思います。
無理して歩いて帰った人や大学に泊まる人もいたので、遅くなっても帰ることができてラッキーといえる部類でした。

この日は疲れて寝て起きて、次の日からいろんな衝撃を受ける日々が続きます。

翌日テレビでこの大津波があったことを知り、テレビ局が上空からヘリで報道していたんですけど町が壊滅状態っていう本当に聞いたことがない絶望的な状態になっていて、
一方では原発が爆発するという起きてはいけないことが現実になってしまった絶望もあって、本当に辛かったですよね。

それと京都に住んでると意外とこの話を知らない人もいるんですけど、地震後の東京はあらゆる面で醜く辛い状況になっていました。

地震の翌日からティッシュとかトイレットペーパーとか水がなくなったかと思えば、今度は原発が爆発して外出しない方がいいというセルフ地域規制が出て逆に街から人がいなくなったりしました。

さらに原発停止によって電気が足りなくなるので輪番停電という順番に各地域を停電させたりして、気を紛らわすため外に出たくてもあらゆる会が自粛になりただ辛いニュースを見続ける苦しみを味わうことになり、本当にこの先どうなってしまうんだとすっごく辛い期間が長く続きましたね。

もちろん経済も大打撃受けたので、先行き真っ暗な中で就職活動が始まるという、ただの不景気とは違うかなりの逆境世代だったと思います。
今の就活生もコロナでピンチだと思いますが、もしココ見てる人がいたら世の中は理不尽なものだと思いながらもそういう状況を乗り越えた人もたくさんいると、前向いて頑張ってほしいですね。

結局この時は就職活動が延期ラッシュになり、多くの企業が採用活動は6/1からにする形になってしまいました。
中には東京電力のように採用をやめるとかもありましたし、ESの締め切りとかもぐちゃぐちゃになって企業側のリスケも大変だったと思われます。

そんな中で、比較的影響の少なかった京都の会社は選考が後ろ倒しにならず、おれは運よく内定が決まりまして、今もそこで働いています。
この時点で第一志望でもなかったけど、普通にいい会社だと思ってたし、2か月待ってもらって別のところを受けることにメリットはあまり感じなかったので思い切って決めてしまったというところ。

実は並行してJRAだけ受けてたっていうのは今だから言えることですが、まぁ結果的にこの選択でよかったんじゃないかなって思ってます。

もし地震がなくて延期や中止がなければ別の会社に行っていた可能性は大いにあるし、そうすると京都に来ていなかった可能性も高いし、VISTAなんてなかったし、マジで運命変わったよね。

もう2度と経験はしたくないですが、何事も塞翁が馬と考えてポジティブに生きていきたいと思います。

今日は長くなりましたが、久々に冗談入れずにまじめに書いた気がしますので、そんなまじめな管理人に会いたい方はVISTAでお待ちしております('ω')ノ

それではまた、バーイ('ω')ノ

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